Sifu(紙布) - history

紙子【かみこ】と紙布【しふ】 ここで紙子と紙布の違いと、歴史について少しお話しようと思います。 sifu.8 奥州では紙子と紙布を古くから衣料用として使われてきました。昔は木綿が高価だった為紙の産地の普及と共に様々な素材を取り入れ発展をしてきたようです。 紙子は紙衣とも書き、貼りあわせた和紙をよくもみ、柿渋を塗って仕上げたもので防寒用の胴着や寝具によく使われておりました。 一方、紙布は和紙を糸にして織られた布で、とても手間のかかる素材ではありましたが、紙子より軽く丈夫でもある紙布は何度でも洗濯が可能であり、宮城県白石市の特産であった白石紙布は、江戸時代には伊達藩より将軍家へ夏の衣料用の最高級品として献上されていました。そしてそれ以降、京都の公家への進物ものとなっていきました。 しかし、紙布は長い歴史の中で多様に形を変えて珍重されてきましたが、近代紡績技術におされ、徐々に衰退していったのでした。明治六年にウィーン万国博覧会にて進歩賞を受賞され、大正三年の大正博覧会まで出品されましたがやがて姿を消していくのでした。 経糸に絹を緯糸に紙糸で織られた絹紙布(きぬじふ)、また経糸に綿を使った綿紙布(めんじふ)、経糸に麻を使った麻紙布(あさじふ)そして経糸、緯糸とも紙糸をつかったのが諸紙布(もろじふ)と呼ばれていました。 原料の和紙の漉き方にも紙子と紙布では違いがあるようです。紙子用は十文字に漉いていますが、紙布用は縦方向だけ揺すり、紙糸にした時に、繊維の方向が一定で強度が保てるようにセルロースだけの長い繊維のまま漉いているのです。 紙布作家の桜井貞子先生は言います。 「紙糸作りで様々な和紙を使ってきたけれど、、和紙を揉んでいると漉きての方の性格が伝わってくるのよ」itomomi 現在、桜井先生の紙布は、茨城県常陸大宮市で那須楮100%からなる西ノ内和紙の「紙のさと」さんの和紙を使われています。一流の和紙漉職人である菊池さんが漉く和紙は寒漉き(11月~1月の期間)で独特の工夫をこらした薄くて強いすばらしい和紙だそうです。そして揉んでいると穏やかさが伝わってくるそうです。 kamiitoその和紙で作るとつなぎ目の節も抜けず、じょうぶで光沢のある糸ができあがるのです。 西ノ内和紙は350年の歴史を持つ和紙で、徳川光圀(水戸黄門でおなじみ)が編纂したことで有名な『大日本史』もこの和紙が使われました。西ノ内和紙は強靱で虫もつかず、また筆字がにじまないことから、商家が大福帳として用いられ、火事の際は大福帳を井戸へ投げ込み焼失を防いだそうです。

Sifu(紙布)との出会い ver.4

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お気に入りのウォーキングコース

私が、紙布(シフ)作家の桜井貞子先生を再び訪れたのは翌年にはいり、満開だった桜も散り、新緑の葉が茂る季節となっていました。

投薬後の手術の経過もよくウォーキングを再び始めるくらいに体力も戻ってきていました。

 

水戸市の作業場兼、自宅の庭に車を乗りいれエンジンを切ると同時に、桜井先生は玄関の外まで満面の笑顔で出迎えてくれていました。

時刻は、午後2時頃。

客間に私を案内してくれるとすぐに、「コーヒーは飲まれます?」と聞かれ、毎日飲んでいますと返事すると、「それはよかったわ」とコーヒー豆を手動のミルにいれると、ゴロゴロと先生は挽きはじめました。

お亡くなりになったご主人もコーヒーが好きで、その影響で先生も好きになり、必ず豆は挽きたてを落とすことにこだわっているそうです。そして、私と同様に先生もコーヒーはブラックで飲み、お茶菓子に、林檎のケーキをごちそうしてくれました。

先生とご主人との二人三脚で紙布製作にとりくみ始めた頃の話を聞かせてくださいました。この40年間という長い年月には言葉にする以上はるかに苦難や立ちはだかる壁が数多くあったなどは、具体的な事は解らぬども想像はつきます。しかし諦めずに貫き通す原動力とはなんだったんだろう、と思いながら私は先生の言葉に耳を傾けました。

わずかに残った文献をもとに技法を研究し、ご主人が製作の過程をその都度細部までの資料を作り、先生をしっかりサポートしていらしたと同時に、「どんなに辛くても主人がやめせてくれなかったのよ」と話す言葉の裏には、ご主人に対する深い信頼関係を感じとれました。

sifuito1紙布(しふ)の糸を撚る

紙布はまずは糸作りからはじめます。

90㎝×60㎝の4枚重ねられた和紙を屏風畳にして折ります。紙布は和紙が非常に大切なの、と先生は話されます。紙布専用の手漉き和紙は一定方向に繊維を揃え糸にする為の強度をだす手法をとられています。sifuito2

桜井先生の使われている手漉き和紙は、同県の常陸市で作られている、那須楮の最高級の和紙です。茨城県無形文化財にもなっている西ノ内紙の「紙のさと」さんの菊池さんが漉かれた和紙です。  重なった和紙を2㎜間隔で端は切らないように、カッターの刃を滑らせていきます。

sifuito31反(約37㎝×12.50m)を織るには約1万mの糸が必要となる為これが、50枚も必要となるのです。切った和紙を湿らせて乾かないうちに、専用の石の上で揉みます。

先生にすすめられて、試しに恐れ多くもこの私が、揉む作業をやらさせていただきましたが・・・・勿論、何度も和紙を切ってしまったり、揉んで細い糸の原型になるまでに乾いてしまい、揉めなくなったりと散々たるものでした。

sihuito5先生が、大丈夫修復できるからと言って下さったので、ホッとはしましたが全身に汗をかいてしまいました。難しいとは思ってはいましたが、予想以上でした。

 

この作業の後、糸車で糸に撚りをかけていきます。実は、この作業も先生に「撚ってみる?」と言われ私も体験してみたのですが、云うまでもありません・・・・・・

それからしばらく私は、先生の紙糸作りを見学しました。そこでまた淡々とこなす先生の姿に初めて展示会でお会いした時の存在感と同じ空気をまた肌で感じていました。

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和紙は気の遠くなる作業を経て紙糸へ、ここから更に染色・機織りの工程を経て紙布(しふ)へとなっていくのです。

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Sifu(紙布)との出会いver.3

Sifuとの出会いをテーマに綴っておりますが、紙糸を布にするには機織り機で布に織りあげるといった、作業が必要となります.

私はSifuと出会う少し前に織るという事を学ぶ為に、浅草橋に開校している機織り教室に通うこととしました。自身の体調との折り合いをつけながらの通いなので、あらかじめ、体調の良い活動期間に1~2か月先のスケジュールを組み、体調の悪い雌伏期間は反対に予定は考えないという方法をとりました。

 

体調の悪い時にスケジュールを組んでしまうといささか前向きさに欠けるので、体調管理予想表を作成することで投薬中も休むことなく通い続けることができました。

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布巻きに結ばれた経糸

機織り機は、4~6枚の糸で吊るした綜絖(ソウコウ)に経糸(タテイト)を通し、その先の筬(オサ)に通したのち、布巻きに経糸を結びつけます。その後しっかりと経糸を巻きとります。この時経糸が全て均等に張らなくてはならないので、緩みがでた箇所は結び直して何度も張りのチェックをします。

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セッティングができたら足で綜絖と繋がった棒を踏み、上下された経糸の間に緯糸(ヨコイト)を通していくといった作業で織り上げていきます。(説明が難しいのでずいぶんと端折った言い方をしています。)

教室は10時~17時までのほぼ一日過ごしますが、私はまだまだ機織り機が織れる状態までにセットするのに、とても時間がかかり毎回11時近くからやっと織はじめることができるのです。20150918_164331機織りは、今の私にとっては無心になれる貴重な時間となりました。

踏木を踏み、シャトルを滑らして経糸に緯糸をさす。

教室に響く機織りの音。

「カタン・タンタン…カタン・タンタン」

1300年も前から同じ音を響かせていたのでしょうか……

投薬に伴う活動スケジュール